【村上宗隆の三冠王バットを生んだ聖地】ミズノテクニクス養老工場の歴史とヤクルトスワローズとの深い絆

東京ヤクルトスワローズ
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東京ヤクルトスワローズファンの皆様、村上宗隆選手が2022年に史上最年少で三冠王を獲得した時のバットがどこで作られたか、ご存知でしょうか。

答えは、岐阜県養老町にある「ミズノテクニクス養老工場」です。

11月に放送された村上宗隆選手出演の番組「だから、挑む ~プロ野球・村上宗隆~ 2025.11.27」でも「ミズノテクニクス養老工場」を訪問する場面が映し出されていました。

メジャー用のバットをつくっているのですね。

 

この工場は、まさに日本プロ野球の歴史を支え続けてきた「バット工房の聖地」と呼ぶにふさわしい場所なのですし、ここから世界に向かう村上宗隆選手が手に持つバットを生み出すのです。

ミズノテクニクス養老工場の歴史:戦時中の航空機工場からスポーツ用品の聖地へ

1943年の創業から現在まで

ミズノテクニクス養老工場は、昭和18年(1943)に美津濃株式会社が牧田川の廃川地を利用して養老航空機工場を新設したのが始まりです。 戦時中は飛行機の木製プロペラを製作していましたが、戦後はその高い木工技術を活かして、スポーツ用品製造へと転身しました。

現在、この工場は岐阜県養老郡養老町高田307-5に位置し、硬式野球用木製バット、ゴルフクラブ、テニスラケットなどのスポーツ用具を製造する、ミズノテクニクス株式会社の主要拠点となっています。

日本野球界を支える技術力

ミズノテクニクス養老工場の最大の特徴は、グラム単位、ミリ単位の精度にこだわり抜いた職人技 です。機械化が進む現代においても、最終的な調整は人の手で行われており、選手一人ひとりの要望に応える技術力は、まさに日本のものづくりの真髄と言えるでしょう。

村上宗隆選手の三冠王を支えた名工・名和民夫氏

ヤクルトの主砲を支える職人の技

バット職人の名和民夫さんは、今をときめく村上宗隆選手のバットを作っています。名和氏は、村上選手がヤクルトに入団した当初からバットを製作しており、2022年の三冠王獲得時の木製バットも担当しました。

村上選手のバットは、メイプル(もみじの木)を使用した長さ85cm、重量880〜900gで、ダイナ加工という先端をくり抜くことで軽量化された村上選手のオーダーメイドです。名和氏は三冠王達成に対して、「18年ぶりで令和初の三冠王はとても素晴らしい記録だと思います。村上選手がこれからももっと上を目指せるように、微力ながら私も誠心誠意取り組ませていただきます」とコメントしています。

伝説のバット職人・久保田五十一氏の系譜

名和氏の師匠は、2003年に「現代の名工」に認定され、2005年に黄綬褒章を受章した久保田五十一氏です。久保田氏は、落合博満、ランディ・バース、衣笠祥雄、イチロー、松井秀喜、ピート・ローズらのバットを手がけた伝説のバット職人であり、2014年に引退するまで日本野球界を支え続けました。

名和氏は、2008年よりイチロー、松井秀喜の担当を引き継ぎ、現在は村上宗隆(東京ヤクルトスワローズ)、大山悠輔、佐藤輝明(阪神タイガース)、西川龍馬(広島東洋カープ)などを担当しています。

職人技が生み出す極限の精度

0.1ミリ単位の調整技術

名和氏は「この刃物でどれだけの力で削れば、何ミリ削れるかというのが勘の部分。最後のコンマ1ミリ、重量でいえば5グラム、10グラムを合わせていくのは、1本1本人の手で合わせないといけない」と語っています。

この究極の職人技により、選手たちは自分の理想とするバットを手にすることができるのです。名和氏の信念は、「理想は選手に一切の不安を感じさせないこと」であり、バットの存在を忘れるくらいに「四角い打席に立つ選手が、目の前の投手にのみ集中してくれれば」という願いが込められています。

ヤクルトスワローズと養老工場の絆

ミズノブランドアンバサダーとして活躍する選手たち

2024年シーズンから、高橋奎二選手と長岡秀樹選手が新たにミズノブランドアンバサダー契約を締結しました。契約アイテムには、グラブ、シューズ、バット、バッティング防具、バッティング手袋、アパレル全般などが含まれています。

長岡秀樹選手は契約に際して、「ミズノさんの野球用品を使用しチームの優勝と野球界の発展に貢献できるように頑張ります。そしてミズノさんの野球用品の進化にも携われるように精進していきます」とコメントしており、養老工場で作られるバットへの期待を示しています。

村上宗隆選手との深い信頼関係

名和氏が初めて村上選手に会ったのは、プロ1年目のシーズンを終えた2018年11月。「バットの調整のため工場まで来てもらった。好青年そのものだった」と振り返ります。 Gifu-np1軍定着後の4年間で、球場に出入りする際にしばしば会ってきましたが、「人柄は変わらない」と語っています。

この信頼関係こそが、史上最年少三冠王という偉業を支えた原動力の一つと言えるでしょう。

養老工場が誇る製造技術の特徴

素材選びからこだわる職人の目

バット製造において最も重要なのは、実は素材の選定です。名和氏は「バットの良し悪しを決めるのは、素材の質です。削る技術は、その次なんですよ」と語っています。バットに使われる木は主に北米産のメープルとホワイトアッシュですが、同じ原木でも切り取る場所によって性質は異なります。

特に木が持つ反発力は、音を鳴らして見分けるそうで、「反発のいい木ほど、高い音が出る」のだそうです。ベンチで選手がバットを耳元に持ってきて指で弾くのは、まさにこの音を聞き分けているところなのです。

Made in Japanの誇り

養老工場で生産されるすべてのゴルフクラブは、経験豊富で技術力が高い職人が、人の手で削り、人の目で測るなど、一本ずつ手作業で作られていきます。 この「YORO JAPAN CRAFTED」のクオリティは、世界に誇る日本のものづくりの象徴です。

バット工房の見学体験:ファンにとっての聖地巡礼

養老工場のバット工房は、入口の扉の取っ手がバットになっており、名選手のバットがずらりと展示されています。 ここには、イチロー選手、松井秀喜選手、そして村上宗隆選手の実際に使用されたバットも展示されており、まさにプロ野球ファンにとっての聖地と言えるでしょう。

おわりに:ヤクルトスワローズの栄光を支え続ける養老工場

ミズノテクニクス養老工場は、1943年の創業以来、80年以上にわたって日本のスポーツ界を支え続けてきました。特に東京ヤクルトスワローズにとっては、村上宗隆選手の史上最年少三冠王達成や、高橋奎二選手、長岡秀樹選手のミズノブランドアンバサダー契約など、チームの栄光を支える重要なパートナーとなっています。

名和民夫氏をはじめとする職人たちの技術と情熱、そして選手との深い信頼関係。これらすべてが融合することで、明治神宮野球場に響き渡る快音が生まれるのです。

ヤクルトスワローズファンの皆様、次に神宮球場で選手たちの活躍を目にする時、ぜひその手に握られたバットが、養老工場の職人たちの魂が込められた一本であることを思い出してください。そして、これからも養老工場の職人たちが、私たちの愛するスワローズの栄光を支え続けてくれることでしょう。

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