大学野球の聖地・神宮球場とヤクルトスワローズの特別な関係
100年の歴史を刻む神宮球場
東京の中心、明治神宮外苑に佇む明治神宮野球場。1926年(大正15年)に竣工したこの球場は、2026年に開場100周年を迎える日本野球の聖地です。
プロ野球・東京ヤクルトスワローズの本拠地として知られていますが、実はこの球場は、東京六大学野球連盟と東都大学野球連盟という、日本を代表する大学野球リーグの舞台でもあります。
神宮球場の歴史は、まさに日本の大学野球の歴史と重なります。1926年10月23日、神宮球場の落成式には摂政宮皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が台臨し、六大学選抜紅白戦を観戦されました。
翌24日には明治-法政戦で神宮初の公式戦が開催され、以来、この地は大学野球の聖地として愛され続けています。
春と秋のリーグ戦期間中、神宮球場には連日、各大学の応援団による壮大な演奏と声援が響き渡ります。
プロ野球とは一味違う、純粋で熱い青春の戦いがそこにはあります。そして、この舞台で活躍した多くの選手たちが、そのままヤクルトスワローズのユニフォームに袖を通すという特別な縁が生まれているのです。
東京六大学野球から羽ばたいたスワローズの名選手たち
青木宣親 ― 早稲田大学から世界へ飛翔した安打製造機
青木宣親選手は、宮崎県立日向高校を卒業後、早稲田大学人間科学部に進学。東京六大学野球では首位打者1回、ベストナイン3回を受賞し、リーグ4連覇達成に貢献しました。高校時代は投手でしたが、大学入学後に外野手へ転向。2年生の時には、後にプロ入りする鳥谷敬(阪神)、比嘉寿光(広島)、由田慎太郎(オリックス)らと共に強力打線を形成し、早稲田大学野球部史上初の4連覇に貢献しました。
神宮球場での青木選手の活躍は、まさに伝説的でした。2002年の3年春の対東京大学1回戦では5打数5安打5打点1四球の活躍で、1試合6得点という六大学野球記録を達成。同年の東京六大学野球秋季リーグ戦では、打率.436で首位打者のタイトルを獲得しています。
2003年のドラフトでヤクルトスワローズから4巡目指名を受けて入団した青木選手は、その後、NPBで首位打者3回、最多安打2回という輝かしい成績を残し、メジャーリーグでも活躍。そして2024年10月、21年間の現役生活に幕を下ろす際、神宮球場での引退セレモニーで恩師・野村徹元監督から花束を受け取り、「神宮球場から羽ばたいて、神宮球場に戻ってきて、21年ぶりに恩師の前で見せた溢れる涙には、21年間の全てがつまっている」ような感動的な場面を演出しました。
青木選手自身、現役時代を振り返って次のように語っています。「現役時代は春、秋と大学時代を思い出すことがよくありました。スワローズは本拠地が神宮球場。ナイトゲームのため車を運転して球場入りする、サブグラウンドで練習する、そのときに球場から応援や歓声が聞こえてくるんです。いつもそばに東京六大学を感じることができた」と、大学時代と変わらぬ神宮球場への特別な思いを明かしています。
丸山和郁 ― 明治大学から紫紺の誇りを胸に
現在、ヤクルトスワローズで活躍する丸山和郁選手も、東京六大学野球の明治大学出身です。明治大学では1年春に右肩を脱臼して手術を受け、投手を断念し野手に専念。2年春からレギュラーに定着し、同年の全日本大学野球選手権大会で優勝に貢献。4年時からは主将となり、2季連続でベストナインに選出されました。
丸山選手は、2021年のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから2位指名を受け、明治大学からは12年連続のドラフト指名となる快挙を達成しました。指名直後の記者会見では、「神宮に応援に来てくれた両親に感謝を伝えたい」と語り、大学時代から慣れ親しんだ神宮球場でプロとしてプレーできる喜びを表現しました。
小澤怜史 ― 法政大学から育成枠を経てエースへ
法政大学出身の小澤怜史投手も、神宮球場で青春を過ごした選手の一人です。大学時代は法政大学のマウンドを守り、東京六大学野球リーグで活躍。2017年にヤクルトスワローズから育成ドラフト1位指名を受けて入団しました。
育成選手として苦労の時期を過ごした小澤投手は、2022年6月26日に支配下登録され、同日の読売ジャイアンツ戦(神宮球場)で1766日ぶりに一軍登板。無死満塁のピンチを無失点に抑える好投を見せ、7月3日の対横浜DeNAベイスターズ戦(神宮)では、プロ初先発でプロ初勝利を挙げました。
大学時代から慣れ親しんだ神宮のマウンドで、プロとして初勝利を挙げた瞬間は、まさに感動的でした。育成から這い上がり、今やチームの中心投手として活躍する小澤投手の姿は、多くの大学野球選手たちに夢と希望を与えています。
東都大学野球からもつながる神宮の縁
もう一つの大学野球の雄・東都大学野球連盟
神宮球場を舞台とする大学野球は、東京六大学野球だけではありません。1931年に創設された東都大学野球連盟も、神宮球場を主戦場として熱戦を繰り広げています。中央大学、日本大学、専修大学、國學院大學、東洋大学、亜細亜大学といった強豪校がひしめく東都大学野球は、「戦国東都」「実力の東都」と呼ばれ、レベルの高さでは日本一とも評されています。
東都大学野球からも、多くの選手がヤクルトスワローズに入団しています。日本大学出身の山崎晃大朗選手(2024年引退、現二軍コーチ)もその一人で、2015年のドラフトでヤクルトから5位指名を受けて入団しました。神宮球場で大学野球を経験した選手たちが、同じ舞台でプロとして活躍する姿は、まさに野球の聖地・神宮ならではの光景です。
神宮球場が育む野球文化の継承
なぜヤクルトスワローズには大学出身選手が多いのか
ヤクルトスワローズに東京六大学野球や東都大学野球出身の選手が多い理由は、単に地理的な近さだけではありません。神宮球場という同じ舞台で、大学時代からプロになっても野球ができるという環境は、選手にとって大きな魅力です。
また、スワローズのスカウト陣は、神宮球場で行われる大学野球の試合を頻繁に視察できるという利点があります。選手の実力だけでなく、神宮特有の環境への適応力も含めて評価できることは、即戦力となる選手を見極める上で重要な要素となっています。
ファンが愛する「神宮の絆」
スワローズファンにとって、大学時代から応援していた選手がそのままスワローズのユニフォームを着てくれることは、特別な喜びです。春と秋の大学野球シーズンには、将来のスワローズ選手を探しに神宮球場へ足を運ぶファンも少なくありません。
神宮球場は現在、日本で唯一の「ブルペンが見られる球場」でもあり、屋外にブルペンがあるため、試合中に練習する投手の姿を間近で見ることができます。こうした特徴も、ファンと選手の距離を近くし、神宮球場ならではの一体感を生み出しています。
未来へつながる神宮の伝統
2025年、東京六大学野球連盟100周年
東京六大学野球連盟は1925年に結成され、2025年に100周年を迎えました。この記念すべき年に、早稲田大学OBの青木宣親氏が始球式を務めるなど、様々な記念事業が開催されています。100年の歴史は、まさに日本野球の歴史そのものであり、神宮球場はその舞台として重要な役割を果たしてきました。
次世代のスターたちへ
現在も神宮球場では、未来のプロ野球選手たちが白球を追いかけています。彼らの中から、青木宣親のように世界で活躍する選手が生まれるかもしれません。丸山和郁のようにチームの中心選手として活躍する選手が現れるかもしれません。小澤怜史のように苦労を乗り越えてエースになる選手が出てくるかもしれません。
神宮球場という特別な舞台で、大学野球とプロ野球が交差する独特の文化。これこそが、ヤクルトスワローズというチームの魅力であり、ファンが愛してやまない理由なのです。
まとめ ― 神宮球場が紡ぐ野球の物語
神宮球場は、単なる野球場ではありません。大学野球の聖地として、そしてプロ野球・東京ヤクルトスワローズの本拠地として、日本野球の歴史と伝統を体現する特別な場所です。
東京六大学野球や東都大学野球で青春を燃やした選手たちが、同じ神宮のグラウンドでプロとして輝く姿。それを見守るファンの温かい声援。100年近い歴史の中で培われてきたこの独特の文化は、これからも受け継がれていくことでしょう。
ヤクルトスワローズファンにとって、神宮球場での観戦は、単にプロ野球を見るだけではありません。未来のスワローズ選手となるかもしれない大学生たちの躍動、かつて大学野球で活躍した選手たちのプロとしての成長、そして神宮球場という舞台が持つ特別な雰囲気。すべてが一体となって、他では味わえない野球観戦の醍醐味を提供してくれるのです。
次に神宮球場を訪れる際は、ぜひこの歴史と伝統を感じながら、野球を楽しんでいただければ幸いです。大学野球のシーズンには、未来のスワローズ選手を探しに。プロ野球のシーズンには、大学時代から成長した選手たちの勇姿を見に。神宮球場は、いつでも野球ファンを温かく迎えてくれることでしょう。


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