東京ヤクルトスワローズ歴代4番バッター完全ガイド!村上宗隆から若松勉まで主砲の系譜を徹底解説

東京ヤクルトスワローズ
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野球において、4番バッターは特別な存在です。チームの最強打者として期待され、ランナーを返す重要な役割を担います。4番バッターは単なる打順ではなく、チームの顔であり、精神的な支柱として位置づけられています。

得点圏にランナーがいる場面で打席に立つことが多く、その一振りが試合の流れを大きく変えることもあります。また、相手チームから最も警戒される存在であるため、厳しいコースを攻められることも多く、高い打撃技術に加えて強靭なメンタルが求められます。

日本野球では特に4番バッターが「チームの象徴」として重視される傾向があり、ファンにとっても「頼れる存在」として心理的な拠り所となっています。

東京ヤクルトスワローズの歴史においても、数々の名4番バッターがチームを牽引してきました。

メジャー行きを表明している村上宗隆選手は来年はいない(はず)

そうなると次の4番は誰になるのか?皆さん注目していますよね。

そんなヤクルトの4番バッターについてまとめました。

現在の4番バッター:村上宗隆

現在のヤクルトスワローズの4番を務めるのは、村上宗隆選手です。2022年には史上最年少となる22歳で三冠王を獲得し、NPB史上10人目、日本人選手では6人目となるシーズン56本塁打を記録しました。

村上選手は2018年のドラフト1位でヤクルトに入団し、わずか3年目の2020年から開幕戦で4番を任されるようになりました。20歳シーズンでの最高出塁率獲得と全試合4番出場は、いずれも史上最年少記録となっています。

2022年には打率.318、56本塁打、134打点で三冠王を達成し、NPB史上最年少記録を更新しました。通算200本塁打もNPB史上最年少の24歳3か月で達成するなど、数々の記録を打ち立てています。

歴代4番バッター①:若松勉(1970年代~1980年代)

ヤクルトスワローズの歴史を語る上で欠かせないのが、「ミスタースワローズ」と呼ばれる若松勉氏です。1971年にドラフト3位で入団し、19年間ヤクルト一筋で活躍しました。

若松氏の最大の特徴は、168cmという小柄な体格ながら、驚異的なバッティングセンスで好成績を残したことです。通算打率.319は4000打数以上ではセ・リーグトップの記録であり、5000打数以上では歴代1位となっています。

1978年にはチーム初の日本一に貢献し、打率.341、17本塁打、71打点でMVPを獲得しました。首位打者を2回、通算3割以上を12回記録し、「川上哲治と並ぶ記録」として高く評価されています。

また、現役引退後は監督としても2001年に日本一を達成し、ヤクルト球団史上初の生え抜き優勝監督となりました。背番号1は若松氏の引退後、池山隆寛、岩村明憲、青木宣親、山田哲人といったチームの顔となる生え抜き選手のみに着用が許される特別な番号となっています。

歴代4番バッター②:ボブ・ホーナー(1987年)

1987年、ヤクルトに「黒船」「赤鬼」と呼ばれた強打者が来日しました。それがボブ・ホーナー選手です。メジャーリーグのブレーブスで通算215本塁打を記録した現役バリバリのメジャーリーガーとして、年俸3億円で入団しました。

来日2試合目の阪神戦では、池田親興投手から1試合3本塁打を放ち、「ホーナー旋風」を巻き起こしました。この3本の本塁打は推定飛距離合計380メートルという特大アーチで、バースをして「なんであんな選手を連れてきたんだ」と言わしめたほどでした。

シーズンでは腰痛に悩まされながらも、93試合の出場で打率.327、31本塁打、73打点という成績を残しました。規定打席未満での30本塁打以上は、当時外国人選手では史上初の記録でした。

ホーナー選手の活躍により、神宮球場は連日満員となり、チーム成績が4位であったにもかかわらず年間観客動員数は200万人を超えました。わずか1年の在籍でしたが、ヤクルトファンの記憶に強く残る4番バッターとなりました。

歴代4番バッター③:古田敦也(1990年代~2000年代)

野村克也監督のもと、「ID野球の申し子」として活躍したのが古田敦也氏です。1990年にドラフト2位で入団し、18年間ヤクルト一筋で活躍しました。

捕手でありながら4番を務めることも多く、1997年には全試合に出場し、打率.322、9本塁打、86打点を記録。捕手として初めてセ・リーグのシーズンMVPと日本シリーズMVPの両方を受賞しました。

通算2097安打を記録し、ベストナイン9回、ゴールデングラブ賞10回受賞という輝かしい実績を残しました。2003年には1試合4本塁打という日本タイ記録を達成し、セ・リーグでは王貞治氏に並ぶ快挙となりました。

大卒・社会人経由での2000本安打達成はNPB史上初であり、野村克也監督のもとでチームを5回のリーグ優勝、4回の日本一に導いた名捕手として、ヤクルト黄金期を支えた存在です。

歴代4番バッター④:アレックス・ラミレス(2001年~2007年)

2001年にヤクルトに入団したアレックス・ラミレス選手は、「ラミちゃん」の愛称でファンから愛された4番バッターです。本塁打を打った後のパフォーマンスで、マスコットキャラクター「つば九郎」とともにブレイクし、神宮球場を盛り上げました。

入団1年目の2001年にはチームのリーグ優勝・日本一に貢献し、以降もチームの主力として活躍しました。2003年には本塁打王、打点王、最多安打のタイトルを獲得する三冠に輝きました。

2007年には外国人選手・右打者として史上初のシーズン204安打を達成し、打率.343を記録しました。7年間の在籍でヤクルトに288本塁打を残し、その後巨人、DeNAでもプレーし、外国人選手として史上初のNPB通算2000本安打を達成しました。

積極的にバットを振っていくスタイルで、四球は少なかったものの、持ち前の長打力とチャンスに強い打撃でチームを牽引しました。ヤクルトファンの心に残る名4番バッターの一人です。

歴代4番バッター⑤:ウラディミール・バレンティン(2011年~2019年)

2011年にヤクルトに入団したバレンティン選手は、プロ野球史に残る大記録を打ち立てました。2013年には王貞治氏の55本塁打を超える、プロ野球新記録となるシーズン60本塁打を達成したのです。

この年、バレンティン選手は130試合に出場し、打率.330、60本塁打、131打点、長打率.779という驚異的な成績を残しました。本塁打率7.32は、王貞治氏や落合博満氏を上回る数字でした。

神宮球場で放った38本塁打はシーズン同一球場最多記録となり、3年連続で本塁打王を獲得しました。2018年には131打点で自身初の打点王も獲得し、9年間で通算288本塁打を記録しました。

規定打席未満での30本塁打以上という記録も残しており、その圧倒的な長打力でヤクルトの4番として君臨し続けました。村上宗隆選手も「彼は僕の記録を破ることができるただ一人の日本選手になるだろう」とバレンティン氏から評価を受けていました。

まとめ:受け継がれる4番の系譜

東京ヤクルトスワローズの歴代4番バッターは、それぞれが異なる個性と魅力を持ちながら、チームを牽引してきました。小柄ながら天才的なバッティングセンスを持った若松勉氏、わずか1年で伝説を残したホーナー選手、捕手ながら4番を務めた古田敦也氏、明るいキャラクターでファンを魅了したラミレス選手、そして60本塁打という大記録を打ち立てたバレンティン選手。

現在は村上宗隆選手が、この伝統ある4番打者の系譜を受け継いでいます。史上最年少三冠王として、すでに球界を代表する強打者となった村上選手は、今後さらなる記録更新が期待されています。

4番バッターはチームの顔であり、ファンにとって「頼れる存在」です。これからも東京ヤクルトスワローズの4番バッターが、神宮球場で輝かしいプレーを見せてくれることを期待しましょう!

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