ヤクルトスワローズの聖地・神宮球場の歴史と建て替え計画|100年の伝統を未来へつなぐ本拠地の全貌

神宮球場・関連球場情報
記事内に広告が含まれています。

東京都新宿区の明治神宮外苑に佇む神宮球場。1926年(大正15年)10月に開場し、まもなく100周年を迎えるこの歴史ある球場は、東京ヤクルトスワローズの本拠地として、数々のドラマを生み出してきました。

そして今、2031年の完成を目指して建て替えが進められています。本記事では、ヤクルトスワローズファンにとって特別な意味を持つ神宮球場の輝かしい歴史と、新たな時代へ向けた建て替え計画について詳しくご紹介します。

神宮球場の誕生|大正時代から続く野球の聖地

東京六大学野球のために建設された由緒ある球場

明治神宮奉賛会が48万円、東京六大学野球連盟が5万円を寄付して建設された神宮球場は、もともとアマチュア野球、特に東京六大学野球のために造られた球場でした。

関東大震災の復興支援を背景に建設された公共施設のひとつとして、日本野球の発展に大きく貢献してきたのです。

1929年11月1日に行われた早慶戦に昭和天皇と秩父宮雍仁親王が臨席し、入場できない人々が球場を何重にも取り巻いている様子を見た秩父宮がスタンドの増築を提案したエピソードは、当時から神宮球場がいかに愛されていたかを物語っています。

戦前から戦後への激動の歴史

神宮球場は、太平洋戦争時の空襲による大火災、戦後のGHQ接収という困難な時代を乗り越えてきました。

1934年にはベーブ・ルース、ゲーリッグら米大リーグ選抜チームが来日し、沢村栄治投手が登板した伝説の試合も行われました。この時の全日本チームの編成が、後の日本プロ野球誕生につながったことも、神宮球場の歴史的価値を高めています。

ヤクルトスワローズと神宮球場|1964年からの本拠地としての歩み

国鉄スワローズ時代からの苦難と栄光

1964年にヤクルトスワローズ(当時の国鉄スワローズ)が本拠地として使用を開始しましたが、実は学生野球に優先使用権が認められており、スワローズ側が間借りしているという特殊な関係でした。

これは、神宮球場の建設に東京六大学連盟が資金提供したという歴史的経緯によるものです。

1978年の悲劇と歓喜|初優勝の特別な記憶

1978年にヤクルトスワローズが初めてリーグ優勝したものの、東京六大学が優先され日本シリーズ(対阪急戦)は後楽園球場で振り替え開催されたという悔しい出来事がありました。

しかし、この年の優勝は、広岡達朗監督のもとで成し遂げた球団初の快挙として、ファンの記憶に深く刻まれています。

野村・若松・真中・髙津監督時代の黄金期

1992年と1993年の日本シリーズでは、ヤクルトのホームゲームが初めて神宮球場で開催されました。野村克也監督時代の1990年代は、4度のリーグ優勝と3度の日本一という黄金期を迎え、「投手王国スワローズ」の伝統が確立されました。

2001年の若松勉監督、2015年の真中満監督、そして2021年・2022年の髙津臣吾監督による優勝と、神宮球場は幾多の歓喜の瞬間を見守ってきました。特に2021年の日本一は20年ぶりの快挙として、ファンに大きな感動を与えました。

神宮球場の魅力|ファンが愛する特別な空間

傘を使った応援スタイルの発祥地

「東京音頭」に合わせて緑や青の傘を振りながら踊る応援スタイルは、1960年に当時の応援団長・岡田正泰氏が考案したものです。

「応援グッズを買わなくても、家にあるもので応援に参加してもらえる」という発想と、不人気だった国鉄スワローズのために少しでもファンが多く見えるようにという工夫から生まれた、神宮球場の名物となっています。

都心の立地と独特の雰囲気

銀座線外苑前駅から徒歩5分、JR信濃町駅・千駄ヶ谷駅から徒歩10分という抜群のアクセスの良さも、神宮球場の大きな魅力です。

仕事帰りのサラリーマンやOLが気軽に立ち寄れる「居酒屋神宮」としても親しまれ、開放的な屋外球場ならではの雰囲気を楽しめます。

私も仕事が終わってから総武線に乗って信濃町で降りて、神宮に向かいます!確かにビール半額デーなどの日は「居酒屋神宮」!

また、夏の風物詩「神宮外苑花火大会」は1980年から毎年8月に開催され、野球と花火を同時に楽しめる特別なイベントとなっています。

建て替え計画の詳細|2031年完成予定の新球場

神宮外苑地区まちづくりプロジェクトの一環

神宮球場の建て替えは、神宮外苑全体の再開発計画の一環として進められており、老朽化した施設の刷新や都市の防災強化を目的としています。計画地面積約174,700㎡、延床面積約565,000㎡という巨大プロジェクトの中で、神宮球場は中核施設として位置づけられています。

建て替えスケジュールと新球場の特徴

建て替えは段階的に進められます:

  • 2023年:神宮第二球場の解体開始
  • 2024年:新秩父宮ラグビー場の建設開始
  • 2028年:新ラグビー場完成
  • 2029年:現秩父宮ラグビー場解体、新神宮球場建設開始
  • 2031年:新神宮球場完成
  • 2032年:現神宮球場解体
  • 2036年:再開発全体の完了

新神宮球場は、中央広場との繋がりを意識した計画で、内野席の上にホテルが併設され、一部の客室からは試合を観戦することも可能になります。

また、VIP席やスイートルームの導入、最新の照明や音響設備により、より快適な観戦環境が提供される予定です。

席が狭めなので…もう少し余裕がある座席になってもらいたい!

建て替えが必要な理由

神宮球場は完成から98年が経ち、老朽化による漏水や腐食が顕著で、コンコースや観客席の間隔が狭く、段差も不揃いでバリアフリーの対応が不十分という課題を抱えています。現在の神宮球場収容人数約31,000人に対し、新球場ではより快適な観戦環境を提供するために座席のレイアウトや動線が見直されます。

建て替えへの思い|ファンと関係者の期待と懸念

歴史的価値の継承への願い

神宮球場は1世紀近い歴史的な価値があり、移設・建て替えに反対する意見も多々あります。

作家の村上春樹氏も「緑溢れる気持ちの良いあの周回ジョギングコースを、そして素敵な神宮球場を、どうかこのまま残してください。いちど壊したものって、もう元には戻りませんから」と、保存を訴えています。

一方で、明治神宮は外苑にある神宮球場の収益を中心に内苑、外苑の環境維持に充ててきましたが、宗教法人であるため公的資金の受け入れには厳しい制約があり、単独での建て替えには限界があるという現実もあります。

新たな聖地への期待

建て替え期間中はヤクルトスワローズは一時的に他の球場を本拠地とする可能性がありますが、ファンは新しい神宮球場が「未来の野球ファンにとって新たな聖地となること」を期待しています。

「こんなカッコ良いスタジアムの片隅に、競馬新聞を読んでるペンギン(つば九郎)がいるのか」といった好意的な声も聞かれます。

まとめ|100年の伝統を未来へつなぐ挑戦

神宮球場は、1926年の開場以来、東京六大学野球の聖地として、そして1964年からは東京ヤクルトスワローズの本拠地として、日本野球の歴史を紡いできました。1978年の初優勝から2022年までに9度のリーグ優勝と6度の日本一という輝かしい記録は、すべてこの神宮球場とともにありました。

2031年に完成予定の新神宮球場は、老朽化という避けられない課題を解決しながら、100年の伝統と新たな時代の要求を融合させる挑戦となります。傘を振りながらの応援、つば九郎との触れ合い、そして「投手王国スワローズ」の伝統は、新しい球場でも必ず受け継がれていくでしょう。

2036年の再開発完了まで、まだ長い道のりが続きますが、ヤクルトスワローズファンにとって神宮球場は、過去も現在も、そして未来も、かけがえのない「聖地」であり続けることは間違いありません。現在の神宮球場での試合を大切に見守りながら、新たな時代の幕開けを楽しみに待ちましょう。

100年の歴史を持つ神宮球場、そして東京ヤクルトスワローズの新たな挑戦に、これからも熱い声援を送り続けていきたいと思います。

コメント

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました