2025年12月、東京ヤクルトスワローズの主砲・村上宗隆選手がMLBシカゴ・ホワイトソックスへの移籍を決断しました。
ホワイトソックスは高津前監督が現役時代プレーしていたチームです。高津さんはご自身のInstagramで喜びを語っておられました。(それもあって最近ホワイトソックスネタが多い)
ヤクルトファンの皆さんにとって、村上選手の新天地がどのような球団なのか気になるところではないでしょうか。
本記事では、シカゴ・ホワイトソックスの本拠地、歴史、特徴、そして日本人選手との深い縁について詳しくご紹介します。
シカゴ・ホワイトソックスの本拠地「レート・フィールド」
シカゴ・ホワイトソックスの本拠地は、イリノイ州シカゴ南部にある「レート・フィールド」です。1991年に開場したこの球場は、収容人員約40,615人を誇ります。開場当初は「コミスキー・パーク」という名称で親しまれていましたが、その後「USセルラー・フィールド」、「ギャランティード・レート・フィールド」と名称が変遷し、2025年現在は「レート・フィールド」となっています。
球場の特徴として、フェンスが比較的低く、左中間・右中間のふくらみが少ないことから、本塁打が出やすい「打者有利」の球場として知られています。村上選手の豪快なアーチがシカゴの空に舞い上がる姿が今から楽しみです。
アクセス面では、シカゴの地下鉄レッドラインの「Sox-35th」駅が最寄りで、駅名に「Sox(ホワイトソックス)」が入っているほど球場との結びつきが強く、MLB球場の中でも非常にわかりやすいアクセスとなっています。
シカゴ・ホワイトソックスの歴史|120年以上の伝統を持つ名門球団
シカゴ・ホワイトソックスは、1900年に創設されたMLBの中でも最古参の球団の一つです。1901年に結成されたアメリカンリーグのオリジナルメンバー「クラシック・エイト」に名を連ね、創設初年度にはリーグ優勝を果たしました。当初は「シカゴ・ホワイトストッキングス」という名称でしたが、1904年に現在の「ホワイトソックス」に改称されています。
ワールドシリーズ優勝は通算3回(1906年、1917年、2005年)を誇ります。1906年にはチーム打率.230という貧打ながら投手力と守備力で勝ち進み、同じシカゴを本拠地とするカブスを破って初の世界一に輝きました。この年のチームは「ヒットレス・ワンダーズ(打てない驚異)」と呼ばれています。
しかし、1919年には球団史上最大の汚点となる「ブラックソックス事件」が発生しました。当時のオーナーがケチで選手への給与が低く、ユニフォームの洗濯代さえ渋ったため選手のユニフォームは黒ずんでいたといわれています。
この状況を利用した賭博師が八百長を持ちかけ、8人の選手が永久追放される事態となりました。この事件以降、チームは長期間低迷し、「ブラックソックスの呪い」と呼ばれることになります。
その呪いが解けたのは2005年のことでした。井口資仁選手が入団したこの年、チームは88年ぶりのワールドシリーズ制覇を成し遂げ、ファンの悲願を達成しました。
しかし長い呪いでしたね…。
シカゴ・ホワイトソックスの特徴|サウスサイダーズとしての誇り
ホワイトソックスは、シカゴ南部を本拠地とすることから「サウスサイダーズ」という愛称で親しまれています。同じシカゴを本拠地とするカブス(愛称:ノースサイダーズ)が市北部で人気があるのに対し、ホワイトソックスは南部で強い支持を受けています。
チームカラーは黒と白のモノトーンで、シンプルながらスタイリッシュなデザインが特徴です。ユニフォームには「Southside」のロゴが記されたバージョンもあり、地元への愛着が表れています。
なお、元アメリカ大統領のバラク・オバマ氏がホワイトソックスのファンであることを公言していることでも有名です。大統領在任中に特定のチームを応援するのは異例のことであり、それだけ深い愛着を持っていることがうかがえます。
近年のホワイトソックスは苦しい時期が続いており、2023年から3年連続で100敗以上を記録しています。特に2024年には近代MLB記録を塗り替えるシーズン121敗を喫しました。チームは現在再建期にあり、若手選手の育成と新戦力の獲得に力を入れています。
歴代の名選手と日本人選手|ヤクルトとの深い縁
ホワイトソックスには数多くの名選手が在籍してきました。「ビッグハート」の愛称で知られるフランク・トーマスは、1990年から2005年まで在籍し、通算521本塁打を記録した球団史上最高のスラッガーです。
背番号35は永久欠番となっており、2014年には野球殿堂入りを果たしました。ポール・コネルコは1999年から2014年まで在籍し、2005年のワールドシリーズ優勝に貢献した球団の象徴的存在です。彼の背番号14も永久欠番となっています。
そして、ホワイトソックスは日本人選手との縁が非常に深い球団でもあります。
2004年には高津臣吾氏が日本人選手として初めてホワイトソックスに入団しました。高津氏はクローザーとして活躍し、24試合連続無失点を記録するなど「ミスター・ゼロ」のニックネームを地元メディアから贈られました。
ヤクルトファンにとって、高津前監督がかつてプレーした球団というのは感慨深いものがあるでしょう。
2005年には井口資仁選手が入団し、2番打者としてチームの88年ぶりのワールドシリーズ優勝に大きく貢献しました。井口選手は現在ロッテの監督を務めていますが、ホワイトソックスで最も成功した日本人選手として評価されています。
2012年には福留孝介選手も在籍しており、ホワイトソックスは計3人の日本人選手を受け入れてきた実績があります。
村上宗隆を獲得した理由|再建期のチームが期待する役割
ホワイトソックスが村上選手を2年総額3400万ドル(約53億円)で獲得した背景には、チーム再建の戦略があります。
近年3年連続で100敗以上を喫しているホワイトソックスは、打線の軸となる「絶対的な主砲」が不在でした。
チーム打率.232と得点力不足が深刻な課題となっており、NPBで三冠王を獲得した村上選手の長打力に大きな期待が寄せられています。
また、再建期にあるホワイトソックスは、優勝を狙う強豪チームとは異なり、村上選手に適応の時間を与えることができる立場にあります。
仮にMLBの速球に苦しむ時期があっても、ベンチに下げるプレッシャーが少なく、じっくりと成長できる環境が整っています。
村上選手は主に一塁手として起用される見込みで、守備の負担を軽減しながら打撃に集中できる配置となっています。本人の同意なしにマイナーへ送れない条項も契約に含まれており、安定して出場機会を得られる条件が整えられました。
高津前監督がかつてプレーした球団であること、日本人選手を3人受け入れてきた実績があることも、村上選手にとって心強い要素だったのではないでしょうか。
まとめ|村上宗隆の新たな挑戦を応援しよう
シカゴ・ホワイトソックスは、120年以上の歴史を持つ伝統ある球団です。高津前監督や井口選手など、日本人選手との縁も深く、村上選手にとっても馴染みやすい環境が整っています。
シカゴの地元記者からは、ヤクルト名物の「東京音頭」や傘を使った応援を持ち込もうという声も上がっており、村上選手の応援歌を覚えようとするファンの動きも見られます。ヤクルトファンの皆さんにとって、海を越えて村上選手を応援する新たな楽しみが生まれることでしょう。
再建期のチームで中心選手としてプレーする村上選手。2026年シーズン、レート・フィールドで豪快なアーチを描く姿を楽しみに待ちましょう。
シカゴに行きたい!!!

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