太田賢吾「ケニー」日ハムからトレードでヤクルトへ!埼玉出身ユーティリティプレイヤーの軌跡と応援歌

46 太田賢吾
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東京ヤクルトスワローズの太田賢吾選手(背番号46)は、1997年1月19日生まれ、埼玉県川越市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)で右投左打です。

ファンからは親しみを込めて「ケニー」と呼ばれ、その多彩な守備力と堅実な打撃でチームを支える貴重な存在として知られています。

北海道日本ハムファイターズから2018年にトレードでヤクルトに移籍してきた太田賢吾選手の魅力と、ヤクルトでの活躍ぶりを詳しくご紹介いたします。

太田賢吾(おおたけんご) 選手の基本情報

東京ヤクルトスワローズの公式サイトにある選手名鑑にある情報をまとめました。

名前 太田 健吾
よみがな おおた けんご
ポジション 外野手
投打 右投げ/左打ち
生年月日 1997年1月19日
身長 186 cm
体重 87 kg
出身 埼玉県川越市

太田賢吾選手の応援歌

太田賢吾選手の応援歌です。

太田賢吾選手の応援歌は、2017年に現役を引退した今浪隆博選手の応援歌を流用したものだそうです!今浪隆博選手も太田選手同様に、日ハムからヤクルトへ移籍した選手です。

勝利を信じる声が こだまするこの地で
今光る君の一打 快音を響かせて

太田賢吾選手の登場曲

【奇数打席】

カイト(嵐)

カイト
ARASHI · This is 嵐 · Song · 2020

【第3打席】

Landscape(緑黄色社会)

Landscape
Ryokuoushoku Shakai · Landscape · Song · 2022

【偶数打席】

シェリー(尾崎豊)

シェリー
Yutaka Ozaki · 13/71 -THE BEST SELECTION · Song · 1984

太田賢吾選手の経歴

小学校 1歳上の兄の影響で小学校2年生時、南古谷レーダースで野球を始める
中学校 川越市立東中学校 所沢中央シニアに所属し遊撃手としてプレー
高校 川越工業高校 1年生の秋に遊撃手でレギュラーを獲得しました。投手を兼任し、通算で2試合に登板

高校3年夏の埼玉大会では17打数9安打、打率.529、6打点を記録した(チームは5回戦敗退)という好成績を残しました。

また、高い身体能力を誇り、高校時代の50メートル走のタイムは6秒1。遠投110メートルという運動能力の高さが記録されています。

2015~2018年 北海道日本ハムファイターズ
2019年~ 東京ヤクルトスワローズ

スカウト秘話 – 隠し玉として発掘された逸材

太田選手の発掘には興味深いエピソードがあります。太田を担当した日本ハムスカウトの今成泰章は2013年秋の埼玉県大会で「ふらっと見に行った時に(太田を)見つけた。目を見張ったのは送球の正確さ」と惚れ込んだそうです。

さらに、以降の埼玉県大会では他球団スカウトに太田の存在を知られないよう「他の球場でもやってるから、移動しようぜ」と強引に連れ出し、ドラフトの隠し玉として指名にこぎつけたという裏話もあり、太田選手がいかに将来性を見込まれていたかが分かります。

ドラフト指名と日ハム時代

2014年10月23日に行われたドラフト会議では、太田賢吾選手は北海道日本ハムファイターズから8位指名を受けます。

日ハム時代は2017年7月18日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦の7回裏に代走でプロ初出場し、その後二塁の守備に就いたというプロデビューを果たしました。

運命のトレード – ヤクルト移籍

2018年12月11日、秋吉亮・谷内亮太との2対2の交換トレードにより、高梨裕稔と共に東京ヤクルトスワローズへの移籍が発表され、12月13日に公示されました。

太田健吾選手の背番号の歴史

太田賢吾選手の背番号は「46」です。

背番号「46」のヤクルトスワローズ歴代の選手

  • 乱橋 幸仁(1990~1994年)
  • 伊林 厚志(1995~1998年)
  • 牧谷宇佐美(1999~2001年)
  • 五十嵐貴章(2002~2004年)
  • 荻原多賀彦(2005年)
  • 飯原 誉士(2006~2007年)
  • 鬼崎 裕司(2008~2011年)
  • 加藤 幹典(2012年)
  • 谷内 亮太(2013~2018年)
  • 太田 賢吾(2019年~)

ヤクルトでの活躍と応援歌の誕生

令和初安打の記録

ヤクルト移籍後の2019年5月1日の横浜DeNAベイスターズ戦では、「1番・三塁手」として先発出場すると、1回表に大貫晋一から12球団を通して令和初となる安打を記録したという歴史的な瞬間を作り出しました。

ケニーの愛称について

太田選手は「ケニー」という愛称で親しまれていますが、この愛称の由来について詳細は明確ではありません。

ただし、過去には”ケリー太田”という別の呼び方も記録されており、ファンの間では様々な愛称で呼ばれています。

ユーティリティプレイヤーとしての才能

守備の多彩さ

太田選手の最大の魅力は、その守備範囲の広さです。

難しいコースの球に対応できるバットコントロールとパンチ力を併せ持つ巧打者でありながら、守備では、内・外野全ポジションを守れるユーティリティープレイヤーとして重宝されています。

ヤクルトでの成長

ヤクルト移籍後はスイングが非常に鋭くなり、一軍で十分活躍できると井端弘和から評されているように、技術面での向上も著しく、チームにとって欠かせない存在となっています。

2022年の連覇への貢献

2022年は、37試合の出場に留まる。本職は内野手ながら外野手としても好守備で存在感を発揮した太田選手。

打撃の方でもチャンスで冷静に押し出し四球を選ぶ、スクイズで点をもぎ取るといったチーム連覇の大きなピースとなったのです。

このように、派手な成績ではないものの、勝負どころでの確実な仕事ぶりがヤクルト連覇に大きく貢献したことが伺えます。

ファーム時代の活躍

2021年は、一軍では29試合の出場に留まるも、イースタン・リーグで首位打者のタイトルを獲得したという実績からも分かるように、常に技術向上を怠らない姿勢は素晴らしいものがあります。

現在の活躍と今後への期待

2024年度現在も46.太田賢吾として東京ヤクルトスワローズの一員として活躍を続けています。守備固めや代打としての出場が多いものの、その確実性と多彩な能力でチームを支え続けています。

好不調の波も大きく登録抹消もあったが、主に坂口智隆に代わる1番打者として自己最多の90試合に出場し、打率.251を記録したという2019年の活躍や、その後の様々な経験を経て、太田選手は着実に成長を続けています。

プライベート

2019年12月に日本ハム時代から交際していた女性と結婚したという太田選手。家庭を築きながらも野球に真摯に取り組む姿勢は、多くのファンから愛される理由の一つでもあります。

 これからも応援し続けたい選手

太田賢吾選手は、チームの縁の下の力持ちとしての役割を果たし続けています。

日ハム時代からヤクルトへのトレード、そして現在までの歩みを通じて、太田選手は技術面でも人間性でも成長を続けており、ヤクルトファンにとって欠かせない存在となっています。

これからも神宮球場で活躍し続ける太田賢吾選手を、私たちヤクルトファンは心から応援していきたいと思います。

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