ヤクルトスワローズの歴代ロゴ変遷 国鉄スワローズ時代のロゴ

東京ヤクルトスワローズ

ヤクルトスワローズのロゴ入りのキャップをかぶり、日々、ランニングをしています。

ヤクルトスワローズの前身は国鉄スワローズ。そこからチーム名も変わる中で、ロゴがどのように変わったのかまとめました!

初期のロゴとデザインの特徴

東京ヤクルトスワローズの前身である国鉄スワローズが誕生したのは、1950年のことです。

この年からプロ野球は2リーグ制となり、セントラル・リーグは既存の読売ジャイアンツ、大阪タイガース、中日ドラゴンズ、松竹ロビンスに4つの新チームを加え、8球団でスタートしました。

昭和25年(1950)に国鉄スワローズとして発足した後、サンケイスワローズ→サンケイアトムズ→アトムズ→ヤクルトアトムズ→ヤクルトスワローズと改称し、2006年から現在の東京ヤクルトスワローズという名称になりました。

「スワローズ」の名称は、国鉄職員を対象とした公募によって決定されました。鉄道関係では「スワロー」「アイヤンアイゼン」「ホイスル」「ホイール」など、動物名では「熊」「象」「麒麟」「ライオン」「コンドル」「かもめ」などの応募がありましたが、最終案として残ったのが「スワローズ」と「キリバース」の2つでした。

ツバメは古来スピードの象徴で、スピードを重視する野球チームの愛称にふさわしく、人の生活圏に営巣する習性があるので、人に愛される球団名として適切であることが考慮され、「スワローズ」で決定されました。

視覚的な要素とヤクルトスワローズの象徴

元来「燕」は国鉄の象徴的な存在でした。1950年に国鉄自動車局がシンボルマークに「燕」を一般公募で採用しており、現在のJRバス各社がツバメをマスコットキャラクターとして継承しているのもその名残です。

現在のスワローズのペットマーク(シンボルマーク)には「緑色」が使われており、これは2024年の企画ユニホーム「TOKYO燕パワーユニホーム」にも採用されています。

昔のロゴに見る球団のアイデンティティ

国鉄時代のユニホームは1955年から59年まで使用され、特に1958年の長嶋茂雄デビュー戦で4打席4三振を奪った金田正一投手や、1957年8月の完全試合達成時に着用されたことで知られています。これらの歴史的瞬間と共に、初期のロゴデザインは球団のアイデンティティの礎となりました。

各ロゴの特徴とデザインの意図

球団史上最も特徴的なロゴ変更は、アトムズ時代に見られます。

1966年、『鉄腕アトム』がフジサンケイグループに属するフジテレビの看板番組となっていたことと、サンケイ新聞に鉄腕アトムを連載していたことから、名前を変え鉄腕アトムをマスコットキャラクターにした「サンケイアトムズ」が誕生しました。

サンケイアトムズ時代の66年から68年まで着用されたユニホームのデザインは、64年東京オリンピック公式ポスター制作の亀倉雄策と人気ブランド「VAN」の石津謙介が手がけました。

手塚治虫、亀倉雄策、石津謙介という時代をリードしたクリエーター3人の共作となったのです。

ロゴに込められたメッセージと意味

「アトムズ」の球団名の由来となった『鉄腕アトム』は、子ども達に大人気で、アトムの人気にあやかって少年少女の人気を獲得しようという狙いがありました。神宮球場のスタンドには、アトム、ウラン、お茶の水博士のマスコットも登場しました。

しかし、著作権問題の経緯と虫プロダクションが1973年11月5日付での倒産不可避となったことが重なり、鉄腕アトムのキャラクター使用を中止することとなりました。

1973年10月26日、球団名を株式会社「ヤクルト球団」、チーム名を「ヤクルトスワローズ」に変更し、キャラクターもツバメをモチーフにしたものに変更されました。

国鉄スワローズ時代のロゴにはトラブルも含めていろいろなストーリーがあるのですね。

これからも以降の時代のロゴを紹介していきます!

 

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